日本語訳
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2002年2月9日正午飛び立ち成田からクアラルンプールまで、それから乗り換えペナンに着く。飛行場に出迎えにきたその夫人は、以前の同僚亞泉のお母さん。飛行場に着くとすぐ熱いと感じた、なんと気温は33度もある。死人が出ないかしら?
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私と主人はこの日ホテルに泊まる。
わぁ〜広くて綺麗なホテル、3つも部屋があり綺麗な夜景が見られる。
荷物を置いて外へ夜食を食べに行く。マレイシア風空心菜炒め、チキンカレー、焼き魚、海老クレープ、サテーなどなど。食べる事深夜2時ようやくホテルに帰り寝る。
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2日目、亞泉は仕事があるので、彼のお母さんがわざわざ私達を観光に連れて行ってくれる。ペナンにはとても多くの寺院がある。華人・インド人・タイ人・蛇寺もあるよ。
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朝9時頃私達は一軒の香港流点心のお店で朝食を取った。そこの社長とは知り合いで、彼は以前私の東京にある「台湾料理 龍」の点心のチーフです。彼の作るチャーシュウパオは本当に美味しい。初めて彼を訪ねて商売が順調で安心した。聞くところによると、ここは彼の2軒目のお店だそうです。朝食の後私達はたくさんの場所を見て回った。
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3日目 、その日、亞泉のお店「樂市」今年最後の営業日。だから私達は特別に商売がどうだか見に行った。えっ?
とても賑わっているよ、それに多くの日本人が食事をしている。亞泉は私に一人の日本人男性を紹介してくれた。その日本人男性は私にここの生活がどのようかを話してくれた。
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夜6時半ペナンからクアラルンプール
まで飛行機に乗る。主人の妹が出迎えてくれ家に帰る。その妹の娘は今年2歳でとても可愛い。その子には義父がいて、彼女の義父は私に義娘をたくさんビデオに撮ってくるよう言った。その事を思い出し即座にビデオを回した。本当に可愛い。
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私達は買って来た物を家の人にあげた。それから、わざわざ持って来た私の田舎で撮った結婚写真を彼らに見せた。「日本の着物とても綺麗、絶対高いよね」と皆が言うと、主人は「奥さんの知り合いの写真屋さんだから、そんなに高くない。もし社長を知らなければ、こんなに沢山の写真はないよ。」と皆に教えた。
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知らない間にもうすぐ12時
主人の兄弟は新年を迎える準備をする。彼らは私に外に出て来るよう言った。1番目の弟、2番目の弟、3番目の妹それぞれ線香を供えお願いをする。次は私「健康でありますように」と言った後主人を見ると、かくれて笑っていた。なんで笑っているの?
もともと私の発音があまり正確でないから。
…よし!爆竹に点火、割れるような音に、すごくビックリした。爆竹が鳴り響くにつれて、華人のお正月が来た感じがした。その晩私は80何個ものお年玉を用意した。
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4日目12日元旦、
皆お互いに「明けましておめでとう」と 私と主人は主人の兄弟姉妹にお年玉を配る。そこで、主人は5つの年玉を差出し、「お前どの年玉がいいか?1つ選べ」
皆そこでどの年玉袋に一番多くお金が入っているか選んでいる。こんな光景を見てとても笑える。実はどの年玉袋の中のお金も同じで、主人に遊ばれただけでした。
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その後、家の人皆で母方のお婆さん宅へ新年のあいさつに行く。私は運がいい、主人には9人叔母さんがいる、でも今クアルンプールには2人の叔母さんしかいない。もし彼女達が全員揃っていたら、間違いなく死ぬほどうるさい、たぶん耐えきれなかったと思う。
しばらくして、皆で食事をする。角煮・蒸し鳥・焼き魚・ソーセージ・菜胆炒め・鶏肉のスープ…。それから4番目の叔母さん宅に新年のあいさつと、またご飯を食べる。家に帰ってまたご飯。その後、家に帰る途中で買ったドリアンを食べ尽くした。
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一日いったい何回ご飯をたべるのだろう?
正月2日目 同じく新年のあいさつに出掛ける。その日は父方のお祖父さんの所へ行く。私達が着いたその時、皆はちょうどマージャンをしていて、私にも一緒にするように誘ってくれたが、私は出来ない。父方の2番目と3番目の叔母さんは私にとても親切にしてくれる。彼女達は冗談がとても好き。それに、ここでは日本人を見掛ける事が少ないので、皆私に会いたがるし、話をしたがる…。
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日本語訳
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あっと言う間 、 楽しい時間が過ぎるのは本当にとても速い。その晩11時に日本へ帰らなければならない。片付けをする。飛行場に行く間際になったその時、1番目の弟はよく気がきく、彼はわざわざ香港風魚生を一箱買って来て私に食べさせてくれた。以前テレビで香港風魚生を見たことがある。その時とても食べてみたかった。今回やっとチャンスが来た。食べてみたら、まるで自分が華人みたいに思えた、少し甘くて美味しい!
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あっという間に私がお姑さんにお別れを言う時、
お姑さんは「私は見送りに行かないけど、気をつけてね」
私は「この度は本当にお世話になりました。ありがとう」
1番目の弟と弟の彼女と主人が私を飛行場に送ってくれた。
弟は私に「兄嫁さん、独りで日本に帰るの寂しいと思いませんか?泣かないで、もう少し居残ってはどうですか?」と聞いた。
私は「寂しくないよ、独りでも気分はいいし心配しないで。じゃあ行くよ。」
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この何日かマレイシアに行って、たくさんのものを食べ、たくさんの場所に行き、多くの親戚・友人達と沢山お話した。覚えきれないし、書ききれない。
私はすでに広東語を勉強して1年半になる。マレイシアへ行く度に私の広東語は前より上手くなるけれど、何事も出来ない、長男の嫁としての責任を果たせない。振り返ると、いつも弟と妹が手助けしてくれる。いつになったら長男の嫁としての責任を果たせるだろう。
以上、レポート /松本さん
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