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広東語学院の先生や学生たちによる香港レポートのページ
香港・中国文化

香港・中国文化 - vol.310月11日/'01

伝統行事「中 秋 節」に寄せて--日本語訳
中秋節についてのTerry(黄 子諒)先生の文章を「上級サロン」クラスの城 口さんが和訳でレポートします。
両方のページを比べながらお楽しみください。

中秋と月
訳 / 城 口 さん
土曜日「上級サロン」クラス
秋、月の節句は、古くは春に太陽を祭り秋に月を拝んだように、その由来はかなり古いものです。8月15日の夜、白く冴えた明月が晴れた空にかかり、家々では庭や天棚に提灯を飾り、月餅や果物をテーブルに並べて、お茶を楽しみながらお喋りをする、これが「賞月」(お月見)の習慣です。満月は、離れて暮らしていた家族が集まって団欒することを表し、その清く澄んだ月の輝きは、素晴らしい生活への願い、遠方の親友を懐かしむ気持ちといった人々の思いを、数千年にわたって届けてきました。

ちろん、詩人文人がこの素晴らしい題材を放っておくはずはありません。月の美しく高潔なこと、清くひそやかで物寂しいさまに才筆を振るわないものはなく、月の助けを借りて胸中を述べたり、月そのものを歌に詠んだりして数々の名篇を残し、この華麗な世界をさらに華やかに飾っています。

「頭を上げて山にかかる月を眺め、またうなだれて故郷を思う」
この李白の「静夜思」(*1)は3歳ないしは5歳の子どもでもすらすらと読める詩でありながら、永遠の名句であります。ひっそりとした静かな夜、広々とした空には、月がただひとつ浮かんでいるだけ。すがすがしい光が大地に降り注ぎ、思いは深くはるか遠い。これが故郷を思わずにいられるでしょうか?

倍仲麻呂は故郷を離れましたが、それが故郷との永遠の別れになってしまいました。それだけに望郷の思いは尽きることがなく、ただただ月に思いを託して月見の宴を開くことしかかないませんでした。
「天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも」(*2)
その詩はやはり十五夜の月に心情を託しています。
「明月が故郷を照らしている。それと同じ明月を私は今こうして見ているが、故郷を見ることはできない。月よ、月よ、私はどうすることもできないのか」これらの詩句は美しくそして物寂しく、月そのもののようです。

「海の彼方から明るい月が上がっているが、はるか遠い空のはてで、あなたはこの時を同じくしているだろうか」(*3)
「月の光は押し寄せる波に従って果てしなく広がっていく。この春の長江のどこに月明かりの届かないところがあるだろう」(*4)
しかし、これらはどちらかといえば相思相愛の人への思いを詠んだもので、共に明月を仰いで、互いに深い情愛を明月に託しています。

「今このとき月をふり仰いであなたを慕っても、便りをきくこともできない。せめて月のあとを追いかけ、月の光と共に流れてあなたを照らしたい」(*5)
情のなんと深いことでしょう。このような胸を打つ詩句をそっと声に出して読んでみると、思いがどこまでも続く彩雲につき従って月を追いかけ、愛する人のもとへと届くような気がしてしまいます。

うすぐ中秋節ですが、大空の月はだんだんと丸くなり、大地は銀色に光り輝いて水面のようです。もうあなたの心は引かれていますか? 思いははるか彼方に飛んでいますか? こんな素敵な時節をあなたはどう過ごすのかな?


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