広東語学院の先生や学生たちによる香港レポートのページ
電影・明星・音楽 - vol.104月24日/'03 |
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多
謝 晒!張 國 榮--- Leslie 永 遠 活 在 我 o地 心 中!
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風
繼 續 吹 , 不 忍 遠 離 , … 要 強 忍 離 情 涙 , 未 許 它 向 下 垂 …
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C
I N D Y
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哥哥ありがとう! | ||
永遠に忘れない * * * * * * * | ||
左からKATHYちゃん(当時7才,レスリー・チャンさん,Cindy先生)
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Text
by 凱 思(KATHY・12歳)
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私が初めて哥哥にあったのは、1998年8月31日だった。
その日、私は母の学校で映画のさつえいがあるので、一緒に渋谷の ボディソニック広東語センターへ行った。当時7才だった私は じっとしているのがきらいで、母達が仕事をしている間、 1偕から7偕まであるビルの階段を、昇ったり降りたりしていた。 かんとくさんやカメラマンさんの休けい時間には、 たびたびあそびに行った。 すると母が1枚の色紙とサインペンを持ってきて 「KATHY,去 哥
哥[o個] 度 ,叫[イ巨] 簽 名
呀!」
と、私に言った。
「個 個 都
係 [o甘] 様 叫 [イ巨]「 哥 哥 」[o架]喇
」
(みんなが「哥哥」と呼んでいるからだよ)と言った。 6偕に降りた私は、スタッフさんのところへ行き、
「我[o係][o尼]度」(ぼくはここだよ)と言ってくれた。私は
「哥 哥 , 唔 該
簽 名 呀!」(哥哥、サインして下さい!)と言った。
(今から考えるとあまり礼儀正しくなかったと思う。) 哥哥は慣れた手つきでサインをして、握手をしてくれた。
哥哥は
でも、7才の私はレスリーがすごく有名な人だとは知らなかったので、
そのあと、レスリーと常盤貴子さんと一緒のエレベーターに乗った時、
さつえいが終わって帰るとき、
* ** * * * * 時は流れ、5年後の2003年4月1日のエイプリルフールの日だった。
夜、姨媽(yii4 maa1:おばさん)から電話があった。 「レスリー・チャンがビルからとびおりて自殺をしたというニュースが、 テレビで流れている。」声がふるえていた。 私はうそだと思った。帰ってきた母の顔は青白く、眼が赤かった。 やっぱりうそではなかった。レスリーは本当にとびおりたんだ。 母は1週間以上何もできなかった。私はただただ、
「TVB大富」のレスリー・チャンのついとう番組を、
* ** * * * * その夜、母と私は、1998年8月31日にレスリーと会った時の話をした。
* ** * * * * レスリー・チャンの家族もファンの方も、みんな悲しんだと思う。
でも、哥哥が出た映画やテレビやドラマや歌った曲は、 彼のことを思っているすべての人の心に永遠に残ると思う。 レスリー・チャン(哥哥)はきっと天国でやさしくほほえんで、 私たちを見守ってくれていると思う。 |
以上
, Text by 凱 思(KATHY・12歳)
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